御無沙汰してます。「豚とオートバイ」翻訳の熊谷対世志です。
8/21に私が漸くインターネットを開通させて気付いて仕舞った劇団france_panの『豚とオートバイ」無断上演問題でしたが、劇団主宰伊藤拓との此の間の遣り取りで、上演許可を出さない事に決めました。mixiの私の日記やハンキンさんの日記で断片的に知っていたり、私が色々相談を持ち掛けていた小松さんやハンキんさんから話を聞いていたりfrance_panのHPや伊藤拓のブログ等で経緯を見ていたりと、色々とtonbaikuの皆様にも御心配をお掛けしたと思いますが、此処に御報告致仕ます。全ての経緯を此処に書くのも膨大な字数になるし、伊藤との遣り取りの全てを載せるのに伊藤本人からの許諾も取っていないので、8/30伊藤拓宛ての「上演不許可」メールのみを掲載します。事の経緯や断った私の根拠は此れで解ると思うからです。猶、france_panのHPには公演中止の告知が既に出ていますし、伊藤拓のブログもしくはfrannce_panHPでも、此の間の経緯を公表の予定です。其方も御覧頂ければと思います。
では、大変な長文になりますが、以下のメール最後迄お読み頂ければ幸いです。
《8/30熊谷より伊藤拓宛て「上演不許可」のメール》(此処まで敬称略)
結論を先に云います。上演許可は出来ません。否、「上演許可を出せない」と云うと、誤解される様で嫌です。戯曲と云うのは半完成品です。上演して初めて出来上がる代物です。其の上演した芝居の完成度は兎も角、上演する迄は半完成品であると云う事に異存はないと思います。「上演を許可する」と云う事は、其の上演迄の作業を共にすると云う事です。共に仕事をすると云う事です。此の間の君達の対応、企画書、伊藤君からの手紙(敢えて、メールとは云いません)を鑑みて、『上演を許可する/しない」と云うよりは、一緒に仕事は出来ないと、其の様にしか結論出来ませんでした。
若し、此の結論を見て不愉快だと云うなら、最後迄読む必要はありません。先々更に不愉快になるであろうから。但し、若し其の様な事をしたら、仮に其うした態度を採ったか採らなかったか解らないにしても、僕は、其の様にした君の事を軽蔑すると云う事です。更に、此の返答を『豚とオートバイ』のHP上に公開する事を云って置きます。此の間、多くの友人知人に心配を掛けていますし、中でも、『豚とオートバイ』福岡チームには一番の心配を掛けているからです。其して、他の友人知人にも、一々メールにするよりは、『豚〜』HPを見て貰う事で済ませたいので。其の位、僕は此の件でヘトヘトです。勿論、日韓演劇交流事務局にも送ります。此れも、別に書き直すのが、正直シンドいからです。
本当は、三日前、8/27の日曜に出ていた結論ですが、三日遅れになって仕舞いました。若し、返答が遅れた事で君達に気を持たせて仕舞ったら、謝ります。併し此の遅れた事が、僕が君達と仕事を共に出来ないなと思った、正に決定的な点であるので、先ずは此の事から書きます。
正直云って、8/26のブログには参りました。感情的に、ではありません。君の−此の件の最初からの対応に対しても同じなのだから君達の、とも云っても良いのかも知れません−モノの考え方に就いてです。何故君は、「世代間」と云う言葉を使って仕舞ったのでしょう。どう考えても、僕に向けられた言葉でしょう。僕は、今回の問題を、世代間の違い−敢えて、「差異」とは云いません−にだけは還元すまいと思って粘って見ようとしていたからです。面白いと思った戯曲を遣りたいと思った時に、其の作家−翻訳劇である今回の場合は訳者−に上演許可を求める以前に手紙を書こうと思わなかった事、上演許可を取っていなかった事が解った後で其の事を指摘されても猶も企画書を送り着けて来た事、「手紙を書け、ブログに経緯を書け、謝罪は良いから『何故どうして遣りたいと思ったか/どの様に遣りたいと思ったか』書いて呉れ」と云ったのに、其のポイントを指摘迄したのに、其の事に答えようともせずに謝罪と企画書の内容を繰り返す事、此うした事をするのが君達の世代だと云うなら、其んな世代は亡びて仕舞えば良い、其う思ってます。勿論、僕は長い事塾の教師をして来たから、若者達の変化は解っている心算です。友人知人が「今時の若い子なんだから」と云われる前に、僕も其うだろうと思っていました。君(達)の対応に対してです。ですが、其んな君(達)の対応を見ても、取り敢えず、話を聞いて見よう、上手く切り出して来なかったらヒントを与えてでも、先ず君の話を聞いてから判断しよう、「今時の若い子だから」と思ったら駄目だ、世代に還元したら駄目だ、其う思ってました。あの『豚とオートバイ』を面白いと云ったのだから、先ず其の話を聞いてからだ、其う思ってました。
併し、君はブログで「世代間」と書いて仕舞った。他の「熱血漢」やら「ガミガミ」やらに就いては云うのは止めて置きましょうか。僕が45年間人から其う思われる事を気付かずにいた馬鹿でない限り、僕に向けてのメッセージと捉えて何がおかしいでしょうか。感情的に怒っていると思いますか?違います。呆れているだけです。僕は電車等の公衆の場での携帯電話を、良く注意します。疲れている時に、堪らないから。此処で君が其れ見た事かと思うのは、自由です。其う云う親父だったかと思って下さい。併し、残念乍ら、若い頃から、僕は其うしていた。其して此の何年か、「今時の若い子」は其うした時に「怒られちゃった」と云うのです。注意した目の前の僕の存在を消去して、電話の相手や一緒にいる友人に向かって同意を求めて。君の8/26のブログは其れと同じです。勘違いしないで下さい。其の事で僕に謝罪しろとか、僕を怒らせたとか云いたいんじゃありません。何故、君は、僕が謝罪しなくて良いからと云ったのに、あの様なブログを書いたのでしょう。
あのブログを見た日曜の昼の時点で未だ、僕は迷いました。手紙を読んでもブログの経緯を見ても僕の云っている事を聞いて呉れているとは思えず、其れでも、何とか一緒に遣って行ける術はないかと考えてました。電話で何度も云いましたが、基本的に、自分の訳した芝居を見ず知らずの君が遣りたいと思ったと云う事は、喜ばしい事でない訳がない。李萬喜さんに無許可上演の件尋ねた時に、李萬喜さん自身の、何とも嬉しそうな声を聞いてもいます。君達の為と云うよりは、李萬喜さんの為、自分自身の為にも、何とか出来ないかと思っていました。併し、どうにも君の手紙からは君の云う(『豚とオートバイ』に感じた)「ヒッカカリ」が見えて来ず−此れは手紙を求めた君への電話で云いましたが、企画書からは「ヒッカカリ」と云う言葉以上のモノは何も看取る事は出来ませんでした−、幾人かの友人に相談しました。僕が云い足りないのではないか、僕が君の手紙から君の「ヒッカカリ」を見落としているのではないかと。此れも以前の電話で云いましたが、友人達は、僕より遙かに君達に厳しい。何度も云います。僕は多分君達に対し世界一ハードルが低い。だから僕は、君達の意を汲んで、ではなく、何とか遣らせたいと云う僕の意を汲んで聞いて呉れと云いました。其れでも友人達の答えは、甘過ぎる、「ヒッカカリ」は見えて来ないと云うモノでした。
友人への相談が終わった時は、深夜でした。此の儘君への返答を書いたら、ストレスで打っ倒れてしまうと思って、一晩経って月曜の晩に書く事にしました。其の月曜に君から又メールが来ました。今度はメールと書きます。手紙に当たる内容は添付ファイルでしたから。僕の「超漢字」では君のファイルは開けないからと開いて送って貰った内容を見て、僕の微かな希望は果てました。君は僕へのメールで「改めて初心に帰り」と書きましたね。僕は其の言葉を信じ、最初の手紙で書けていなかった「ヒッカカリ」を書いて来たのだと思いました。上手く書けなかったにしても、書こうとしているのだと思っていました。君の「初心に帰」った筈の手紙は、最初の企画書以上の企画書でした。
君は一体、『豚とオートバイ』の何処に「ヒッカカ」ったのでしょう。君の此の間の手紙からは、「『豚とオートバイ』に『ヒッカカ』った私」に燥ぐ君の姿しか見えて来ません。企画書の様な「手紙」に至っては、論外です。僕は君への最初の電話で云った筈です。三人芝居で遣ろうとする事に対する危惧、美術に対して先走る事に対する危惧、其等は君が『豚とオートバイ』を最初に面白い、遣りたいと思った事を見失っているからではないか、何よりも、君の企画書からは君が「ヒッカカリ」と呼んでいるモノの正体が何も見えて来ないから、何はともあれ君が「ヒッカカリ」と呼んだモノを書いて欲しいと。併し、君は最初の手紙でも君の「ヒッカカリ」の正体を掘り下げる事をせず−君自身読み返して欲しい。もう一度真率に−、2度目の「手紙」では、最初の企画書の繰り返し、作品其のモノに立ち留まらずに徒に関西の現状や他の劇団の批判を云いシンポジウムと云う「イベント」を行う事や美術に先走る事に燥いでいる許り。
僕が西堂さんと中が悪い事を知らなかったのは御愛敬ですが−其れでも日韓演劇交流事務局の森さんは困ったと思いますよ−、僕は、呆れて仕舞いました。別に、西堂さんをシンポに呼ぶ事に臍を曲げてるんじゃありません。僕は、『豚とオートバイ』と云う作品其のモノが、何よりも雄弁なのだから、先ず、其の作品に即して稽古して作品を作れば良いだけだと思うのです。今の段階だったら、作品に即して君の「初心」を僕に書く事でしょう。美術だシンポだイベントだは、作品其のモノの後に付いて来る付録の様なモノでしょう?僕は最初の電話で云った筈です。美術に就いて考えてる暇はないと(云い方は多少違ったかも知れません)。確かに昨年のパブリックの時も、福岡の時も、アフタートークは付いていました。其れは、パブリックでは日韓演劇交流と云う「イベント」であった事、君達と違ってプロが一方で稽古を積んで−僕は必ずしも満足してませんでしたが−別個に制作サイドでトークの準備をしていた事、福岡ではよもやの事情で来られなかったが李萬喜さん本人に喋って頂くと云う眼目あっての事、君達とは事情が違い過ぎます。
僕は云った筈です。小屋を押さえてるとか告知を出しているとかチャラにして、一から話を始めるなら考えても良いと。なのに企画書を送って来た君に、兎に角君の「ヒッカカリ」を書け、其の積み重ねで手紙を先ず書けと僕は云った筈です。当然僕の訳した『豚とオートバイ』は戯曲だから、君の「ヒッカカリ」−僕は此う云う時「躓き」と云うから、以下其うさせて欲しい−が、どの一つの台詞に、どの一つの場面に躓いたモノなのか、僕は楽しみにしていました。君は作品の構成や方法論で語ろうとしていましたが、其れを一つの台詞や一つ場面で云えなければ−具体例を出せと云っているのではありません。悪しからず−、僕は君の構成や方法論に感じた躓きに疑いを感じて仕舞います。其して何よりも、其うした事をせずに美術やら方法論やらシンポやらに就いて語る君に、他の関西の劇団を批判する君に、其う云う資格があるのかと尋ねたくなります。真摯にエンタメ芝居を作っている劇団の方が、其のエンタメ芝居の一つの台詞一つの場面に心悩ましている彼等の方が、今の処の君の『豚とオートバイ』に対する態度よりも、遙かに真率である様に思えます。確かに君は『豚とオートバイ』に躓きました。併し、其の事を忘れて公演準備に先走って仕舞いました。無許可上演を僕に見咎められて君の云う「想い」やら「ヒッカカリ」やらを求められたのに、君は今の処君自身の躓きを掘り下げていません。僕は君に云った筈です。此の作業は義務ではなく権利だと。君が『豚とオートバイ』に躓いた真実を主張する為の権利だと。今迄の君の企画書、手紙、ブログは、君が其の権利を放棄しているとしか思えません。
8/26のブログで君は「クールに」とも云っていましたね。僕には君の「クールに」が「機械的に」とか「事務的に」とか読めて仕舞うのですが、如何でしょう。僕が訳した『豚とオートバイ』は、芝居です。残念乍ら、クリックしてダウンロード出来る様なコンテンツでもなければ、書類を作って申請すれば許可される役所の許認可事業でもありません。上演されなければ半完成品です。上演許可とは、上演迄僕も一緒に仕事をする事です。以上の様な次第で、僕は、君(達)とは、今回は一緒に遣れないと判断しました。今回の上演許可は出せません。但し僕はコンピューターでも役所でもありませんから、君(達)に二度と遣らせない等とは考えてもいません。多分、日本で一番君達に遣らせたいのは僕です−韓国には李萬喜さんがいます−から、心底、君(達)の捲土重来を期待しています。僕の最初のメールに対する電話に答えた時から、此れは変わらない態度だと思っています。一遍出直して来て下さい。「そう云う時は、もう一度始める事です。」此んな親父と付き合うのは二度と御免だと思ったのでなければ、再び連絡がある事をまっています。
熊谷対世志
以上、上記の通り、france_panHPには既に中止の告知が出ていますし、伊藤拓本人からも了承した旨メールも受け取っていますし、彼自身のブログ或いはHPで経緯公表の予定です。